昭和30年代     回想の登山アルバム

 昭和30年代は先鋭的な登山が活発で、1956年5月09日(昭和31年)には、マナスル(8163m)が、槙 有恒ら12人の登山隊によって初登頂され、日本隊による8000m級峰登頂に初めて成功するなど、本格的登山活動が活発な時代であった。

 当時は先鋭的な登山技術を習得するには、山岳会に入会するのが技術習得の近道であった。従って若者の山岳会への入会希望者も多く、夏山合宿参加者は30人以上ということも、まれではなかった。本格的登山を志す若者が少ない山岳会の現状を考えると”今昔の感あり”だ。
 
 当時の装備は、お粗末なもので、ナイロンザイルは、まだ市場に出始めた頃、井上 靖の小説「氷壁」の中の切れたナイロンザイルが話題になったのもその頃で、まだ一般的には麻のザイルの時代、冬山では凍結防止のためザイルに亜麻仁油をベタベタに沁みこませて入山するが、それでも活動中には棒状に凍結してしまう状態、テントも重い、金がなくアイゼンも登攀用具も高価なものは購入できず鉄製で重量だけは十分、今考えるとまことにお粗末。それでもヒマラヤを夢見て極地法登山に精を出していた頃だ。装備も食糧も着衣もお粗末であったが苦しかった想い出は忘れ去り、今となっては懐かしい限りである。

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