左、(故)佐鳥氏、右、木下、撮影脇屋氏(脇屋氏は申し訳ないが撮影専門で,3人の写真がないのが残念)
 1959年3月、「不帰岳一峰尾根」登攀へ向かう途中で。(キスリングが懐かしい)




         奥秩父「雲取山・両神山」




山 行 日     2005年10月3日(月)〜10月7日(金)

メ ン バー    脇屋龍人、木下 荘、以上2名。

状況・記録  10/4)<雲取山>鴨沢バス停7:45〜堂所10:20〜ブナ坂12:45〜小雲取山14:19〜雲取山山頂15:03〜雲取山荘15:29、(泊)
         10/5)       雲取山荘6:00〜白岩山7:40〜霧藻ケ峰9:35〜地蔵峠10:12〜三峰ロープウェイ12:30乗車〜大輪からバスで中津川の民宿「中津屋」14:00着(泊)
         10/6)<両神山>「中津屋」6:00〜上落合橋6:24〜八丁峠7:41〜西岳9:14〜東岳10:42〜両神山山頂11:26〜両神神社12:17〜清滝小屋13:08〜日向大谷口15:15    
          

 北アルプス「不帰岳一峰尾根」に1959年3月、佐鳥、脇屋、木下の3人で挑戦した。「断壁」と呼ばれる問題の壁はクリアしながら吹雪のため無念の撤退、となったが心に残る登攀であった。その時のザイルパートナー、佐鳥氏が昨年亡くなった。故人の霊にお参りすべく脇屋氏と木下で、東京の佐鳥氏のご自宅を訪問、佐鳥夫人と故人を偲びながら懐旧談を交わした後、生前、佐鳥、脇屋両氏の間で話題となっていた奥多摩の山を訪れた。
 
夏山シーズンが過ぎたとあって登山客は殆どいなく、故人を偲びながら静かな秋の山旅を楽しんできた。
 まず、東京都で一番標高の高い山、2017mの雲取山を、次にクサリ場の多い八丁峠・八丁尾根経由で両神山を登ってきた。

10月3日(月)晴れ
 午後1時佐鳥宅訪問後、奥多摩国民宿舎「観光荘」に泊まる。登山客らしき客はわれわれだけ。

10月4日(火)晴れ後小雨
 6:55始発のバスで、朝もやに煙る奥多摩湖のほとりを約30分。雲取山登山口の鴨沢停留所で下車。乗客はわれわれ二人だけ。
 
 7:45バス停スタート。約10分で山道への入り口、「熊出没注意」の看板がある。名の知れた雲取山だが登山者は以外に少なかった。今日出会ったのは、昨夜、雲取山避難小屋に泊まって下山してきた青年と、下の部落での草刈に動員された、と言って下っていった七つ石山小屋の主人、雲取避難小屋でわれわれに追いついてきた青年、の三人だけ。80歳になると言う、七つ石山小屋の主人は昔のボッカ姿で、「こんなのを知っているか?」と言って一本杖で休憩する姿を披露してくれる。相当、われわれは若く見られたらしい。

実演してくれている七つ石山小屋の主人

雲取山荘は平成11年に新築したそうで立派な山荘だ。客はわれわれ二人だけ。今日は小屋の主人新井信太郎氏は不在。ほかに客がいないので副支配人の皆川氏と青年の二人と夕食を共にし、楽しい夜となる。残念だったのは、彼らは酒を勧めても一滴も飲まず酒を酌み交わすことができなかったことだ。しかし、よく気配りをしてくれて本当に居心地のよい夜を過ごすことが出来た。又、この山荘のロビー、廊下の本棚に納められている蔵書がすばらしい。

10/5(水)
 予想通り雨。6:00雨具の完全装備で雲取山荘を後にする。昨夜の飲みすぎのためか天候のせいか、何となく身体が重い。しかし、今日は、後半はロープウェイで下るだけ、明日からの両神山への移動日のようなもの。歩いている間に調子も出てくるだろう。雲取山荘のすぐ下に廃屋がある、おそらく建て替え前の山荘なのだろう。
 
 今日のコース埼玉県側の道標は、昨日の東京都側の道標より、はるかに立派だ。芋ノ木ドッケ、白岩山を過ぎ、白岩小屋に一寸立ち寄る。白岩小屋は小さな山荘だ。小屋番が軒先でお湯を沸かしていた。屋内は薄暗く大広間の隅に布団が積まれていた。客が多くきているとは思えない。昨夜も客はいなかったようだ。別れ際に「後から誰かきていましたか?」と小屋番が声を掛けてきたが、後からは誰も来る様子もなかったので、年老いた小屋番は今日も一人で過ごすことになるのだろう。
 
 前白岩山を経て「霧藻ケ峰休憩舎」9:45。休憩”所”ではなく、”舎”と書かれているのが、何となく昔が偲ばれて面白い。実質的には避難小屋で、軒先で雨を凌げるのがありがたい。ここで、行動食をパクツキ、カメラの手入れなどで大休止。妙法ケ岳分岐を過ぎたあたりで若い女性の単独行者と出会う。今日出会った初めての登山者だ。余り気にせずに別れたが、昼食に入った食堂で、いきなり「途中で女性一人と会わなかったですか?」と聞かれ、その後も、ロープウェイまでの売店の人、山頂駅の駅員さん、下の駅では駅長風の人に、同じ質問を受け何事かあったのか、と一寸驚いたが、雨の中の女性の単独行、みんな一様に心配してのことだったようだ。

 ロープウェイの終点「大輪」から今夜の宿舎、民宿「中津屋」までバス、この路線バスは停留所以外でも乗客の希望する所で乗り降りができて、バスの所在を知らせるため、スピーカーで音楽を流しながら走るところから「メロディーバス」と呼ばれている。このバスで、民宿「中津屋」の玄関前に横付けしてもらう。予定より早く着き、おかみさんは大急ぎで炬燵・ストーブを準備して迎え入れてくれる。雨に濡れた身体には部屋の暖かさがありがたい。ここでも、お客はわれわれ二人だけ。おかみさんから、傷付いたニホンカモシカの赤ちゃんを持ち込まれ、苦労して育て上げ一年後に山に帰した珍しい話(この話は新聞にも掲載されたようだ)などを聞きながら夕食を共にしているうちに、市会議員のご主人が帰宅、焼酎をご馳走になりながら、八丁尾根コースは明日は岩も濡れていて危険なので別のコースにしては、などと話をしているうちにいい気分に仕上がってバタンキュー。

10/6(木)
 5:00起床、6:00宿を出発。ご主人、市会議員殿の運転で登山口まで送ってもらう。登山口のハシゴを登ると、いきなり岩登りを強いられる。八丁峠を越え西岳から東岳はクサリ場が連続する。ここのクサリ場は一箇所のクサリ場の距離が結構長い。岩は昨日の雨で十二分に濡れていて、しかも逆層の岩場が多い、乾いていればクサリに頼らずもっと楽しめたと思うが今日は少しばかりクサリのお世話になる。
 
 山頂の少し手前で後の方から呼び声がする、男性の単独行者で、えらいスピードで追い越して行ってしまう。山頂で話を聞くと百名山挑戦中で現在77山目、61歳だとのこと。あのクサリ場を登ってきて追いつかれたのは、少し悔しい気分だ。が、なーに61歳の時だったら自分もあの程度の敏捷さはあったはず、と変に自らを慰める。が、今はどう頑張ってもあのスピードにはついていけない、一寸情けない気持ちだ。

 日向大谷口バス停15:15着。16:36発の村営バス到着まで、立派な待合所で荷物の整理、着替え、靴を洗ったりしながら時間をつぶす。今夜の宿舎、国民宿舎「両神荘」近くの両神村役場バス停で下車するまで約30分、乗客は、ここでもわれわれ二人だけ。運転手さんの話だと乗客なしの場合も間々あるとのこと。
 「両神荘」では、受付嬢も食堂の人もよく気がつき、気分よく最後の夜を過ごすことが出来た。

10/7(金)
  7:28初発の村営バスに薬師堂から乗車。三峰口駅〜お花畑駅〜西秩父駅〜池袋へ。東京は何年振りだろう、本社、横浜、埼玉、と出張で各本支社巡りをして忙しくしていた頃が懐かしく思い出される。久しく会っていない東京在住の人達にも会いたかったが、名古屋で人と会う約束があったので、みなさんに会えなかったのは残念だった。
 
 今回の山旅では、どこの宿舎・山小屋でも良い人達ばかりに巡り会え、嫌な思いをすることが一度もなかった。楽しい旅でした。

 佐鳥氏宅で頂戴したお土産は最後まで二人のザックの中にあり、少し重かったが、故佐鳥氏と山行を共にしたようなものだった。多くの山行をともにした脇屋氏が氏の霊にお参りして「これで気持ちの整理ができた」と言った言葉が印象的だった。
 

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