「関西山岳会」は、1923年(大正12年)創立。今年(2023年)、創立100周年を迎える。会の歴史に大きな足跡を残された赤山名誉会長は、今年(2022年)6月7日旅立たれた。享年94歳。創立100周年の最後の年に人生の幕を下ろされた。不思議なご縁を感じる。死・老化、ともに自然の摂理、厳粛に受け止めたい。
 わたしは今年(2022年)7月「関西山岳会」を退会した。在籍65年、仕事の関係で退会状態の時期があったが、1999年赤山名誉会長に呼び出され2000年箕口会長の下で総務を担当、爾来、運営委員、会長時代を含め、退会まで、いい時間を過ごさせてもらい感謝している。年齢的に病に臥せっていたり、彼岸の彼方へ行かれた方、心に残る諸先輩が懐かしい。

関西山岳会運営実態→近況報告

<会長職引き継ぎ>

 私の会長就任とともに岩井現会長には、次期会長を視野に入れた副会長に就任してもらい1年間、会の運営を共にして、「赤山名誉会長への書簡」報告の通り、会長職を引き継いだ。その後、報告もなかったので、その延長線上でステップアップを図りながら運営されていると認識していた。

<年次総会・運営実態の近況>

今年2022年6月、コロナ騒動で延び延びになっていた、会長引継ぎ後、実質的(※)に新会長による、はじめて開かれた年次総会に出席した。総会は、定刻に遅れて始まった。総会では、議題を事前に審議し、結果を報告することになっていた役員会の報告はなく。役員会は全く機能していない。前年度活動報告、今年度活動計画、改選時期を過ぎている役員改選、懸案の創立100年周年記念行事の役員会具体案は示されず、先人たちがステップアップを図りながら築き上げ、私が引き継いだ組織、会則、人材養成、慣行を含むルールについての組織的運営は全く継続されておらず、さりとて、これに代わる軌道修正案も示されない。LINEInstagramの導入についても、総会席上での、一会員個人の提案がノーチェックで採用される実態、それがついに新入会員から提案された「関西山岳会」のホームページがノーチェックで一般公開される事態となる。管理不在、引き継がれてきた組織は全く機能していない。先人達がステップアップを図りながら築き上げてきた組織の継続性は片鱗もみられない。“関西山岳会“は、見事に跡形もなく瓦解していた。
2019に新会長による初めての総会が開かれているが、この時は前回総会を踏襲して大きな変化なし。

 <今後の対応>

 総会後、会長、副会長と3人で懇談の場を設ける一方、3人だけのLINEグループ内で問題解決を試みた。3人で交わしたLINEトーク履歴の公開は避けるが、現状認識、問題意識に埋めることのできない溝があり、新体制の方向性も全く検討されていない現状では、創立100周年の歴史を前提とした組織運営の継続は無理、と判断。「新生:関西山岳会」(仮称)新組織の発足を副会長に提案して「関西山岳会退会表明にあたって」の通り。二人の先輩と共に退会した。今後、組織として継続するならば、組織を率いる立場の者は、長期計画のもと確固とした方向性をもって取り組み、楽しく前進するコミュニティーが構築されることを期待したい。

良識ある先輩は病に臥しているか、彼岸の彼方でもの言える環境にはない方もいらっしゃる。これら諸先輩を含む全会員に対して、今日のような状態を招いた任命責任を痛感するとともに、会員の中から後継者を指名せざるを得ない制約条件下であったとはいえ、考えが甘かったと猛省している。

2023/08

歴史ある関西山岳会は品位ある山岳会でありたい

         「関西山岳会創立100周年記念総会」に関して

              関西山岳会(前会長)木下 荘

 

 「関西山岳会」の「創立100周年記念総会」が2023年6月4日開かれた。ようだ。

1999年(故)赤山伸夫名誉会長から、活動再開の協力要請を受けて会の運営に携わり、「歴史ある関西山岳会」の会長として歴史の一端を担った責任者の一人として「創立100周年記念総会」100年に一度のこの記念すべき日には当然、招待されるものと思っていた。が、何の連絡もなく案内状も届かなかった。この非礼をどう理解すればよいのか・・・・・。

 

私は2022年年次総会後に退会したが、会長職を投げ出したのではない。老人が在籍しているだけで、次の世代に有形無形の負担をかけている総会で目にする老害を避けるため率先して退会したものである。

 

岩井隆志現会長の入会は2000年、私が理事として会に復帰した年である。私の入会は195712月。岩井隆志会長は私の下で副会長として活動を共にして、「関西山岳会」の現状、課題、今後の活動方針、会長の責務については十分すり合わせをして引き継いだ。従ってその方針に沿って組織のステップアップを図りながら運営されていると認識していた。が、会長引き継ぎ後、実質的に初めての、2022年、年次総会は混乱を極め、私が引き継いだ組織、会則、人材養成、慣行を含む組織的運営は全く継続されておらず、さりとてこれに代わる軌道修正案も示されていなかった。そこで年次総会後、会存続に責任ある私と、現会長、副会長3人で「KACトップグループ」LINEトークで意見交換をして、副会長の仲間が多く入会したこの時期、会長交代の好機である。と、岩井隆志現会長に会長交代を勧告した。

 

 『最初からそのつもりです。仰る通りです。岡さんとも一気に世代交代を図ろうと話しています。この機会を逃す手はありません!』『わたしが任期を待たずに退任するのもそのためです』と、会長交代を公約していた。ところが、会長交代を公約した私に「創立100周年記念総会」開催を知らせず恣意的に欠席させ、実情を知らせていない一般会員だけで総会を開催、その場で会長留任を決定している。この一連の対応を知れば(故)赤山伸夫名誉会長ほか心ある先輩諸氏は、激怒するに違いない。これは※信義にもとる※卑劣な行為である。

   <注>※①信義にもとる行動とは=道理に反する、人の道に反する。道理=物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道、悖る(もとる)=背く、あるべき姿に反する。

※② 卑劣とは=することが正々堂々としておらず、いやらしく、きたならしいこと。

 <注>『』内はLINEトーク履歴本人発言の記録

 

前会長から引き継いだ組織、「KACトップグループ」でのトーク内容、留任しなければならない理由、を役員会で説明、役員会の結論を得た後、総会で会員のみなさんに実情を説明して承認を得るのが筋。実情を知らされていない古参会員を含む一般会員は、会長留任に反対も、抗議することもできない。この対応は組織のトップとしてはあるまじき行為である。

 

会員の中から後継会長を指名せざるを得ない制約条件下であったとはいえ考えが甘かったことを、任命権者として猛省していることは既にホームページ上(http://niceguy-k.o.oo7.jp/kacx.html)で公表している。「創立100周年記念総会」を私に知らせず、私が不在の場で会長職留任を決定した今回の件は会長権の権利濫用である。会長は後継者を養成し、引き継いだ組織をステップアップして次の世代に引き渡す責務がある。それにも拘わらず、後継者養成を怠っただけでなく、後継者成長の機会を奪って自分が居座っている。

 

 当日は、「関西山岳会創立100周年記念日」を直前に、2022年6月7日に逝去された「関西山岳会」の歴史に大きな足跡を遺され、当会にとって中興の祖である()赤山伸夫名誉会長に対して席上、会員全員で黙祷を捧げて故人を悼んでくれたことと思う。が、その場に居合わすことができず、連絡も報告もされてないので事実は不明だが・・・。その場に居れなかったのは残念で故人に申し訳ない。また、故人の話を通じて「歴史ある関西山岳会」の歴史、全体像をみなさんにお話しする機会を奪われたことが真に残念だ。

会の拠点「好日山荘」の大番頭であった毛利 潔氏にも触れたかった。

 

 『憧れの関西山岳会の一員になれて嬉しく誇りに思います』これは昔の関西山岳会をご存じで、昨年入会されたZ氏が私にくれたLINEトークでの言葉。この言葉には感動。「歴史ある関西山岳会」は、そう思われるクラブであったことに、みなさんは誇りを持ってもらいたい。みなさんは縁あって「関西山岳会」の旗のもとに集った仲間です。信頼関係に裏打ちされた、より一層楽しい気品のあるコミュニティーが末永く続くことを期待します。

                                                                                                           以上

 

 私が引き継いだ「歴史ある関西山岳会」の組織は「2016年6 月以降の新体制」である。この体制は、2015年の「拡大委運営委員会」で審議、地方会員を含む全会員が参加した「臨時総会」で承認され『組織としての関西山岳会』の継続を決定したものである。

<参考>岩井隆志会長へ引き継いだ組織

 

「木下会長退会表明挨拶」へのリンク  
「赤山名誉会長書簡」へのリンク  
 「新ホームページ公開に関して」へのリンク  
「2016年6月以降の新体制」へのリンク  
 中垣 徹君との懇談記録  
「岩井隆志氏との会談記録」へのリンク  
「拡大運営委員会2015年」へのリンク  

「創立100周年記念総会開催に関して」へのリンク

 
 「2017年木下会長挨拶」へのリンク